今やSNSが世界を網羅し、個人>親族>友人・知人>そのまた知り合い>知り合いの知人

日本の人々>世界の人々と際限なく繋がり、とうとう世界のどの国のどんな人々とも

知らぬ間に繋がってしまい、これを考えめぐるだけでぞっとする。

少し前まではポケベルだった。パチンコ屋で、喫茶店で、はたまたお姉ちゃんと一緒

であっても誰にもバレない。「ピーピー」と呼び出し音があると慌てて公衆電話に

かけより「はい、只今営業途中です!」と言えば事足りた。

その後、画期的な自動車電話が登場した。この時点での「鎖で繋がれた不自由感」

はかなりのストレスだった。それが今やこの「過干渉感」は脳天を突き抜け、

どないなっとんねん、というあきらめとため息しか出てこない。GPSの位置情報は

まるで犯罪者の監視のようだ。世間の人々はこの「鎖のついた首輪」を自ら

喜んで選択している。よく使っているなあ、いとうのが感想である。繋がっていたい

人は親族たちと友達2-3人で十分だと思う。「ワタしぃー、スマホが1日でもないこと、

考えられないーー。しぬぅ。」「おじさん、20000日なくてもぉー、元気ピンピンんんー。」

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便利になればなるほど、それはやはり諸刃の剣で、副作用も強くなる。

ポケモンGOの画面を1点見つめながら無機質的な歩きをしている人を見ていると

後ろからケリを入れたくなってくる。

しかしながら、かく言う私もこのようなSNSの環境がないと生きてゆけないところが

つらい。本当はやりたくない。いや、触りたくもないのが本音だ。プライベートでは

電話機能だけのガラケーだけだ。写メもメールもしない。もちろんインスタグラムなんて

ジンマシンが出そうだ。実は典型的な「キカイ音痴の昭和のじいさん」なのだ。

大人の事情、というものはいろいろとややこしく、それでも使いこなさねばものに

ならないことも多々ある。よって否定しつつも普段はオトナシク、シオラシクピコピコ

している。ああっ、つらい。       追記 グーグルアースだけは大好きです。